10年前のアニメージュ

先日大阪のまんだらけにて、「アニメージュ1999年12月号」と「ぱふ1999年10月号」を入手しました。
いずれもマンキンと関わりのある書物です。

まずはこちらをご覧ください。

監督として参加したきっかけはアニメ雑誌のインタビュー
アニメージュ(1999年12月号)のインタビューで「シャーマンキングをやりたい」と言ったのがきっかけで話が来たそうです。

DVD-BOX1-愛のかたちBOX- - 日陰に置かれたメモ帳2

DVD-BOX1ブックレットより。つまり、マンキンのアニメを水島監督が担当するきっかけとなった雑誌です。該当部分を簡単に紹介したいと思います。
まず、そのインタビューについてですが、「俗・さよなら絶望先生」にもスタッフとして参加していた小黒祐一郎さんが聞き手を務める「この人に話を聞きたい」というコーナー、このコーナーの第14回のゲストとして水島精二さんが呼ばれています。ちなみにこのコーナーは今現在も続いている・・・と思います。何ヶ月か前に、小林ゆうさんがゲストで呼ばれてた憶えがあります。10年以上も続いているとは、すごいですな。
かなりの文章量で、水島さんがこの当時にやっていた作品等の話を中心にインタビューが進んでいきます。で、件のシャーマンキングの話はインタビューの終盤にありました。

――今の2作品は企画から自分でやってるわけですけど、例えば、人から持ち込まれた企画でやったとしても、現場さえキチンと押さえられれば、何とかしてみせるぜ、みたいなところがあるんじゃないですか。
水島 それはありますね。実は、原作付きの作品をやりたいんですよ。前から言ってるんですけど、『ガウル』『ダイ・ガード』とオリジナルが続いたので、「オリジナルをやりましょう」という話しか来なくって、なんか嫌だなあって思っているんです。さっきも言ったんですけど、影響を受けた物とか、下敷きになったものが出るのって全然嫌じゃないんで。例えば、今だったら「少年ジャンプ」に載ってる『シャーマン・キング』をやりたいと思っているんですけど、全然そんな話は来ないし。
――そうなんですか。
水島 ああいう少年マンガっぽいのを、是非やってみたいと思います。原作付き、全然、嫌じゃないです。その作品の中で自分が「良い」と思ってる部分をどれだけ引き出せるかとか。原作付きをやる事になれば、その原作を好きな仲間を集められるだろうし。現場を楽しく盛り上げてやっていけば、皆の普段以上の力が出ると思うんですよね。僕自身が、監督ができるようになるまでに皆に持ち上げてもらった、という意識が強いんです。だから、これからも現場の仲間を大事にして、作っていきたいなと思います。

原文ママ。これが企画サイドの目にとまり、監督指名が来た、ということのようで。
ところで、10年前というともう随分と昔のことのように思えます。なので、ぱらぱらと他のページもめくって、当時がどんな時代だったか見て見ました。
・表紙がターンAガンダム
ハンターハンター、ワンピース、封神演義の三作品が放送初期。
・ディズニー映画「ターザン」公開前
こち亀映画化
・読者視聴率で「カードキャプターさくら」が1位
・イッカクモンがズドモンに進化
ブラックジャックってOVAあったんだ・・・
だいたいこんな時代。一番驚いたのは、「AとBの構図、どっちが正しい?」の広告がこの時代からあったこと。あと、ターンAの記事に「ターンXは右手に『シャイニ●グフィンガー』を持つという未確認情報も。」って書いてあるのが地味に面白かったです。ちなみに僕は当時ガンダムには全くと言っていいほど興味がなかったので、道円=ターンAに気づいたのはかなり後のことでした。

ぱふに関してはまた後ほど。