なんでもないようなことが

幸せだったと思う
絶望放送を更新日の昼間に聴けることがどれほどありがたいことだったかを実感しました。失くして初めて、それが尊いものだったと気づく、というのはありがちな展開ですが、まさかそれをわが身で実感する日が来ようとは。しかも絶望先生絡みで。
以前から言ってるとおり僕は学生なのですが、火曜日は授業が午前中しかないのですよ。なので、これまでは火曜日は家に帰って昼御飯を食べたらすぐに絶望放送!という日々を送っていたのです。登下校に時間がかかるため、家についた時点で14時過ぎなので、ほぼ確実に更新されていました。
しかし、夏休みをはさんでこの後期。火曜日は、相変わらず午前中までです。しかし・・・水曜日は昼以降も1時限だけですが授業があるのです・・・。
しかも、授業が終了した後、家に到着するのは大体16:30頃になります。17:00からバイトです。
かくして、僕が絶望放送を聴けるのは更新日の22:00以降になってしまったのでした。
何というか・・・授業が始まってから、終り、そして帰宅中、そしてバイト中、ずっとそわそわしてました。「ああ・・・今日の放送はどんななんだろう・・・早く聴きたい・・・早く聴きたい・・・」頭の中はずっとそんな感じです。改めて、絶望放送を聴くことが、自分の生活の一部になっていたことを実感しました。
それはそれでなんかやだな・・・。

余談ですが、昨日(正確には一昨日)に、「時をかける少女」ネタの標語を送ったばかりでした。相変わらずタイミングが悪い僕です。